第813歩目 1000年前の足元から今の足を考えると??【外反母趾.足育をはじめとした足の悩みの整体院 西船橋1分】

794年、平安京へ。平安時代の人はどんな履物?
794年10月22日、桓武天皇が都を平安京へ移しました。
この出来事にちなみ、京都では毎年10月22日に「時代祭」が行われます。歴史上のさまざまな時代の衣装をまとった人々が都大路を進む、京都を代表する祭りのひとつだそうです。雨天順延です。
平安時代の足を想像してみましょう。平安時代の人々は、いったいどんな履物を履いて歩いていたのでしょうか?庶民は草履じゃないかな・・・なんて予測しますが、どうでしょう!?
そして、現代の私たちとは、足の使い方や歩き方に違いはあったのでしょうか?当時の履物、そして絵巻物に描かれた人々の姿から、昔の人の足元について考えてみたいと思います。

貴族と庶民では、履いていたものが違った?
平安時代と聞くと、平安時代の貴族の女性といえば、「十二単(じゅうにひとえ)」。実は、当時の履物も身分や用途によって違いがありました。
宮廷の儀式などで用いられた代表的な履物が「浅沓(あさぐつ)」です。足を覆う形をした履物で、貴族や官人などが装束に合わせて使用していました。形は現代のスリッパみたいなものですね。
一方、草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)といった、植物繊維などを利用した履物もありました。こうした履物は、時代や地域、身分、用途によって使い分けていたようです。
草鞋や草履を履くと、足指はどう使われる?
草履や草鞋のように鼻緒のある履物では、履物が脱げないように足指で鼻緒を挟む動作が必要になります。一方、足を覆う浅沓(あさぐつ)では、鼻緒を挟む必要はありません。
履物の形が違えば、歩くときに求められる足の使い方も違ってきます。
ただし、鼻緒のある履物を履いていたからといって、平安時代の人々の足指が現代人より強かったとは断定できません。当然ながら比較できるデータがないので・・・。でも、殆ど歩いていたので、現代人よりも絶対強いですよね。
絵巻物から、昔の人の歩き方は分かる?
平安時代の人々の暮らしを知る手がかりのひとつとなる「絵巻物」。
絵巻物には、行列を進む人々や、日常生活の中で移動する人々などが描かれています。履物の形や服装、身体の向き、脚の運び方を観察することができます。
高齢と思われる方々は腰がかなり曲がっていて、O脚の方が多いようです。田畑を耕していた私の曾祖母も腰の曲がりが強かったですが、農業に携わる方は屈む姿勢が多かったので、当時はやむを得ないのだと思います。
一般の人々は・・・、姿勢が良い気がします。草履などで足が鍛えられている分、筋力が発達していますし、足の骨格の崩れも少ないと思います。ですので、そこに乗る上体も安定します。
おまけにスマホがないので、下を見続けることがない。ですので頭から突っ込んで歩くことはない。
昔の人々は、今のように良いシューズがない分、足の使い方にも工夫があったのだと思います。
現代の私たちは、足指を使って歩けている?
平安時代の人々が履いていた履物・足のことを考えると、現代の私たちは靴に頼りっぱなしです。足が痛ければ靴を変える。インソールを入れる。
勿論病院で、大きな病が潜んでいないかチェックすることは必要です。ではそのあと、足のセルフケアや、姿勢、歩行フォームはどうでしょう??
足のセルフケアは出来ていますか??
正しい姿勢は「気を付け!」ではないです。自然な解剖学的な姿勢です。
歩行フォームはいかがですか??YouTubeみてもどれが正しいのか、わからないですよね。小難しく言ってる歩き方は、あまり良くないと思います。日常に則さないといけませんので、だれでもパッとできる歩き方が必要です。
当センターの足ブログを読み返していただければ、答えがみえてくると思います!!ぜひ!!
今日は1000年以上前の足元から、今の歩き方を考えてみました。足を知ることは、自分の身体を知ること。そして、これからも自分の足で歩き続けるための第一歩です。足を正して健康寿命を伸ばす。
足のケアセンター船橋は、皆さんがいつまでも自分の足で歩けるよう、足元から健康を支えていきます!!
あなたの足は大丈夫ですか?

