第513歩 日曜日はユルッとブログ「親友は車椅子へ、私は現場へ。足を診る意味を考えた週末」【外反母趾.足育をはじめとした足の悩みの整体院 西船橋1分】

もう施術はできない・・・多発性硬化症になった親友が、私に道具を託した夜

親友・マルちゃんのお話
マルちゃんとは、20年ほど前、柔道整復師の学校で一緒でした。
3年間、同じ時間を過ごした仲間です。私より2~3歳年下の、現在は40代後半のオジサンです。大切な親友です。
彼はとても勉強熱心な人です。
柔道整復師の資格に加え、鍼灸師や加圧トレーナーなど、患者さんのためになることを次々と学び、多くの資格を取得しています。
穏やかな性格で、怒ったところを見たことはありません。
いつも笑顔でおっとりしていて、性格は私とは正反対です。
学生時代、走ることを教えてくれたのもマルちゃんでした。
一緒にロードレースに出場し、フルマラソンやハーフマラソンを何度も走りました。彼は毎年、北海道のウルトラマラソンにもチャレンジしていました。
ある春の季節、大会名は覚えていませんが、桜が満開の中を彼と並んで走ったことが記憶に強く残っています。
冬の空気が抜け、暖かな空気が気持ちよく、他愛もない話をしながらたくさんのランナー達の間を走りました。
指定難病 多発性硬化症
そんな彼に異変が起きたのは、5年ほど前のことです。
強い頭痛で救急搬送されました。
しばらく原因が分からなかったのですが、最終的に「多発性硬化症」と診断されました。
多発性硬化症は、中枢神経に炎症が起こり、
視力障害やしびれ、麻痺などの症状が、時間と場所を変えて現れる指定難病です。
治療により進行を抑えられる場合もありますが、
彼の場合、進行が早いように感じます。
今年の春に会ったときは、階段を上るのも大変そうでしたが、それ以前に歩くのも危うい状態でした。
1人暮らしでしたが、日常生活も困難となり、現在は実家に戻り、車椅子生活に向けた準備をしています。
仕事も辞め、これからは身体の状態に合った仕事を探すそうです。
もう、施術を行うことはできません。
でも彼はいつも笑顔。
受け継ぎました
そんな彼から施術用品を託されました。
「これ使ってー、もう使わないからさー」と、いつもの冗談めいた口調で表情は笑顔でした。
患者さんのために揃えて、使ってきた道具です。
それを手放す決断は簡単ではないと思います。
彼はいつもと変わらない様子でした。
その日は雨が降って冷え込んでいて、道具を受け取ったのは夜でしたので、余計と彼の気持ちを慮る(おもんぱかる)ばかりでした。
私はジジイですが・・・
私は、ジジイではありますが、まだ身体が動きます。
彼ほどの資格や経験はありませんが、現場に立つことができます。
だから、できることを続けたいと思います。
彼の分まで患者さんを良くしたい。そう決意した週末でした。
